Q 当寺を参拝していた方が、境内の石段で足を滑らせて転倒し骨折してしまいました。転倒した方からは「石段が滑りやすくなっていたのに、寺院が何の対策もしていなかった」として、治療費等の損害を賠償して欲しいと言われています。寺院の境内で参拝者が転倒して怪我をした場合、寺院は損害賠償責任を負わなければならないのでしょうか。

目次
1 境内で事故が起きただけでは寺院に責任は生じない
寺院の境内には、石段、参道、砂利道、石畳、手水舎、墓地への通路等があり、参拝者や檀信徒が歩行中に転倒して負傷する事故が発生することがあります。特に、雨で濡れた石段、苔の付着した石畳、落葉や積雪のある参道等では転倒の危険が高まります。
もっとも、寺院の境内で参拝者が転倒したという事実だけで、寺院が当然に損害賠償責任を負うわけではありません。人が歩行する以上、本人の不注意によってつまずくこともありますし、屋外の石段が雨に濡れるなど自然現象によって通常より滑りやすくなることもあります。寺院側において、境内で発生するあらゆる事故を防止する義務があるわけではありません。
寺院が責任を負うか否かについては、事故が発生した場所に通常予想される範囲を超えた危険があったのか、寺院がその危険を認識又は予見できたのか、どのような安全対策が可能であったのか、参拝者自身にも不注意がなかったか等を具体的に検討する必要があります。
2 土地工作物責任と一般の不法行為責任
境内の石段、舗装された参道、建物の階段、手すり、擁壁等そのものに問題があり、それによって事故が発生した場合には、民法第717条の土地工作物責任が問題となります。
同条は、土地の工作物の設置又は保存に「瑕疵」があり、それによって他人に損害が生じた場合、まず工作物の占有者が責任を負い、次に占有者が損害発生を防止するため必要な注意をしていた場合には所有者が責任を負うものとしています。寺院が境内の施設を所有し、自ら管理している通常の場合においては、宗教法人である寺院について同条の責任の有無が問題となります。
ここでいう「瑕疵」とは、その工作物が通常有すべき安全性を欠いていることをいいます。そして、安全性を欠いているか否かは、単に設備が壊れているかということだけではなく、その工作物の構造、用法、場所的環境、利用状況等を総合して具体的に判断されます。
例えば、石段が大きく欠けている、手すりが腐食して外れかけている、参道に大きな陥没があるなどの危険な状態を放置し、それが事故原因となった場合には、土地工作物責任が認められる可能性があります。
他方、事故原因が工作物そのものの瑕疵ではなく、寺院による清掃、除雪、照明その他の日常的な管理の不十分さにある場合には、民法第709条の一般不法行為責任として、寺院に安全管理上の過失があったかが問題となることもあります。民法第709条は、故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者に損害賠償責任を負わせるものです。
3 寺院にどの程度の安全性が求められるか
境内の石段や参道について、どの程度の安全対策を講じれば寺院として損害賠償責任を負わないのかについては一律に決まるものではありません。
寺院には、何十年、何百年も前から存在する石段や石畳、自然の地形に沿った傾斜のある参道等が少なくありません。一般の商業施設と同じような平坦な床面になっていないというだけで、直ちに通常有すべき安全性を欠くことにはなりません。工作物の安全性は、その本来の用途、場所的環境、利用状況等を踏まえて判断されるからです。
もっとも、参拝者が通常利用する経路に大きな陥没や著しい段差が生じているなど、客観的に危険な状態があり、なおかつ容易に修繕又は注意喚起できるにもかかわらず長期間放置しているような状況においては寺院側の責任が問題となり得ます。
また、寺院には高齢の檀信徒や参拝者が訪れることも多いため、どのような者が通常施設を利用するかという点も、安全対策を検討する上で考慮すべき事情のひとつとなります。
一方、歴史的建造物や指定文化財等の場合には、手すりを新設したり石段を改修したりすることが容易ではない場合もあります。そのような場合には、安全な迂回路を案内する、注意喚起の看板を設置する、危険な時間帯には立入りを制限するなど、文化財としての性質にも配慮した方法で安全を確保することが考えられます。
4 雨・苔・落葉・雪・照明等への対応
実際の寺院における転倒事故では、石段の破損そのものよりも、雨、苔、落葉、雪、凍結、照明不足等が問題となるケースが多いところです。
このような場合において、例えば、雨が降って屋外の石段が濡れていたというだけでは寺院が直ちに責任を負うものではありません。しかし、特定の場所に長期間大量の苔が付着して極端に滑りやすくなっており、以前から転倒事故や檀信徒からの指摘があったにもかかわらず、寺院が清掃や注意喚起を全く行っていなかった場合には、管理上の問題が認められる可能性があります。
積雪や凍結も同様に考えることができます。雪が降るたびに境内のすべてを直ちに完全除雪しなければならないというわけではありませんが、多数の参拝者が利用する主要経路に危険な凍結があることを寺院が把握しているのであれば、除雪や融雪剤の使用、注意看板の設置、立入制限等の現実的な対策を講じることが考えられます。
また、夜間の法要や行事等で参拝者を受け入れるのであれば、階段や大きな段差を認識できる程度の照明を確保する必要があります。既に設置している手すりについても、腐食やぐらつきがないかを確認しておくべきでしょう。
重要なのは、危険を完全になくすことではなく、危険の程度、その予見可能性、事故防止措置の容易さ等に応じて寺院として合理的な対策を講じるということです。
5 参拝者自身に不注意があった場合
転倒事故における責任の有無については参拝者自身の行動も重要です。
例えば、スマートフォンを見ながら歩いていた、立入禁止区域に入った、通常の参拝経路ではない場所を歩いていた、酒に酔っていた、容易に認識できる段差について全く前方を確認していなかったといった事情がある場合には、参拝者側にも過失が認められる可能性があります。
寺院側に一定の管理上の問題が認められたとしても、被害者自身にも一定の過失がある場合には、民法第722条第2項の過失相殺によって損害賠償額が減額されることがあります。
したがって、転倒事故については、事故現場の状態だけでなく、参拝者がどのような経路をどのような状況で歩いていたのかについても確認する必要があります。
6 免責表示と日頃の安全管理
寺院によっては、「境内で発生した事故について当寺は一切責任を負いません」といった貼紙を掲示板において掲示している場合があります。
このような掲示によって参拝者自身に注意を促す一定の効果は期待できますが、これを掲示しておけば寺院があらゆる損害賠償責任を免れるというものではありません。例えば、石段が崩れかけていることを寺院が把握しながら放置し、それによって参拝者が負傷した場合に、一般的な免責表示があることだけで寺院の責任が当然になくなるわけではありません。
むしろ、「雨天時は石段が滑りやすくなります」、「この先に急な段差があります」など、その場所に存在する具体的な危険を知らせる注意喚起の貼紙の方が、実際の事故防止という意味では有効です。
日頃から、参拝者が通常利用する石段、参道、手すり、照明等を確認し、大きな破損や著しい苔、路面の陥没等を発見した場合には、必要に応じて清掃・修繕を行うことが重要です。直ちに修繕できない場合であっても、カラーコーンやロープで立入りを制限する、注意看板を置く、安全な迂回路を案内するといった応急措置を講じることができます。
また、過去に同じ場所で事故が発生した場合や、檀信徒等から危険性を指摘された場合には、その内容と対応を簡単に記録しておくことも有用です。
7 事故が発生した場合の対応
実際に転倒事故が発生した場合には、まず負傷者の救護を優先し、必要に応じて救急車を呼ぶなどの対応を行います。
その上で、後日、事故原因や寺院の責任について争いとなる可能性がありますので、事故現場の状態をできるだけ早く記録しておくことが重要です。
具体的には、事故発生場所、石段や路面の状態、苔・落葉・積雪等の状況、天候、照明、注意看板の有無等を写真や動画で保存します。目撃者がいる場合には、その氏名や連絡先も確認しておくとよいでしょう。防犯カメラがある場合には、映像が上書きされる前に保存しておく必要があります。
事故後に危険箇所を直ちに清掃・修繕すること自体は必要ですが、その前の状態について証拠を残してから行うことが重要です。
また、寺院が施設賠償責任保険等に加入している場合には、被害者への救護や誠実な対応とは別に、その場で不用意に寺院の法的責任や賠償額を確定させることは避け、早期に保険会社へ事故を報告して対応を協議することが望ましいでしょう。
8 本件ケースにおける対応
本件では、参拝者が境内の石段で転倒したという事実だけで寺院が当然に損害賠償責任を負うものではありません。
まず、事故当時の石段について、通常有すべき安全性を欠くような破損等が存在していたのかを確認する必要があります。また、石段自体には問題がなくても、大量の苔を長期間放置するなど寺院の管理上の過失によって著しく滑りやすい状態となっていたのであれば、民法第709条又は第717条に基づく責任が問題となる可能性があります。
他方、石段には特段の異常がなく、通常予想される程度に雨で濡れていただけであり、参拝者自身の不注意によって転倒したのであれば、寺院が損害賠償責任を負わない場合も十分に考えられます。
したがって、寺院としては、事故が発生した段階で直ちに責任の有無を決めるのではなく、事故現場の写真、防犯カメラ映像、天候、路面状況、過去の事故・苦情の有無、目撃者、参拝者の行動等の客観的資料を確保し、事故原因を具体的に検討することが重要です。
また、事故予防の観点からは、高齢者を含む参拝者が通常利用する経路を中心に定期的に境内を確認し、危険が認められた場合には、その程度に応じて清掃、修繕、注意表示、立入制限等の合理的な対策を講じておくことが望まれます。
なお、寺院駐車場における自動車事故については、運転者の責任、駐車場設備の安全性、寺院職員による車両誘導等の別の問題が生じますので、関連記事『寺院の駐車場内での事故』も併せてご覧ください。
寺院の境内における転倒事故、施設の安全管理、土地工作物責任、参拝者からの損害賠償請求への対応その他寺院施設の管理に関する法律問題については、弁護士法人 永 総合法律事務所にて迅速かつ適切なアドバイスを申し上げることが可能ですので、いつでもお気軽にご相談ください。





